青葉FCの目指すサッカーって?1.個と集団 自立自我青葉FCのモットーは、「明るく! 楽しく! 元気よく!」です。子供達に
サッカーを楽しんでもらいたい、スポーツが好きになってもらいたい、出来れば生涯スポーツとして
サッカーを長く楽しんでもらいたい、少なくとも、スポーツを生涯の友として過ごしていって欲しい・・・という考えが原点です。
初めてボールを蹴る子供達に
サッカーを好きになってもらい、好きになったらより一層、
サッカーが楽しめるように、技術的なものを習得してもらいたいと考えています。
チームの指導は、練習日のその日、その日をいかに楽しく完結させるか・・ということと同時に、常に長い目(小学校の6年間)で到達目標に近づくのかを見守り、焦らず、のんびり、そしてじっくりと指導していくことが重要と考えています。
もちろん
サッカーは得点を争うスポーツですから、「試合に勝つ」ということも大切ですが、勝つことだけが目的ではなく、勝とうとする気持ち、勝つためには何をすべきか・・・という過程を大切にしたいと考えています。
そして、子供達にはサッカーを通して、「個人と集団の関係を実感する」ことと「自分で考えて行動する人間になる」というこをを学んで欲しいのです。
サッカーは意外かも知れませんが、失敗することが前提のスポーツです。
サッカーに失敗がなかったら、試合は何十点、何百点もゴールは入ってしまいます。守備側の失敗だけでなく、攻撃側の単純ミスも多く、失敗はごく当たり前のスポーツなのです。失敗することが当たり前ならば、何も失敗したからといってくよくよしたり、誰かが失敗したからといって仲間を責めたり責任を負わせることもない、次は成功しようと努力する、それもみんなで一緒になって努力する・・・その積み重ねがこのスポーツに対する好奇心や成功の時の喜びを倍加させるのです。
サッカーというスポーツは11人の仲間(もちろん、ベンチに入った選手も)がお互いに助け合い、励ましあって一緒に仕事をするという特徴をもったスポーツです。このように集団でやるスポーツは、人間社会の集団と個人の関係をよく体現していると思います。
サッカーをすることによって、自己主張と共同行動のバランス、そして自己評価することに通じます。サッカーでの自己主張は、目的性を伴わなければなりませんし、集団の利益に合致していないとますいし、集団の不利益を目的にしてはなりません。
例えば、1986年W杯メキシコ大会の準々決勝 アルゼンチン 対 イングランドの試合における「マラドーナの5人抜き」をご存知の方も多いと思います。ハーフライン手前からイングランドの選手をドリブルで抜きに抜いて、ついにはゴールキーパーをもかわしてゴールしたシーン、あのシーンでゴールを決められたからこそ、有名になったのです。
もし彼が一人でボールをキープできたとして相手をかわしながら1分間ボールをとられないプレーをしたとしても、誰もそんなプレーはほめてはくれません。それは共同行動の目的が、「ゴールを奪う」ことにあるからです。ですから、どんな行動も、集団の目的に合致していなければ意味がなくなってしまうということです。
それにもう一つ付け加えるならば、マラドーナのドリブルも仲間がいなければなし得なかったということです。もし彼が一人でイングランドのチームに対峙していたら、あるいはイングランドの選手にマラドーナがドリブル突破でゴールすることが最初からわかっていたら、絶対にあのゴールはあり得なかったといことです。
つまり、あのプレーも共同行動の一つであり、仲間がパスを受け取るコースに走り、あるいは入っていたからこそ成立した行為なのです。サッカーにおいては、一人で完結したように見えるプレーでも、決して一人だけでは出来ることはできない、必ず仲間の行動に助けられているのです。
どんなに自己主張をして、どんなに自分だけが頑張ったとしても、社会(チーム)の目的や規範に合致していなければ、ただの利己主義者のように他人には映り、社会(チーム)は上手く機能しません。
「自分には何が期待されているのか」、「みんな(チーム)のために何ができるのか」、こうした自己評価が正確であれば、仲間からの評価も合致します。サッカーにおける自己評価がしっかりしてくるということは、サッカーだけでなく、生活全般で自己点検を行える素地ができあがったことを意味します。
チームメイトに文句ばかりを言っていた少年が自分も頻繁にミスを繰り返すうちに自分に問いかけるようになったら、人間的に成長したのだと思います。
他人の行動を評価することは簡単ですが、自分に対して客観的な評価を下すことは大人でもなかなかできることではありません。「自己評価」、「自己点検」ができるということは、自立した行動がとれるということです。
青葉FCにおいて子供達に学んでもらいたい事の大きな目標は、この、「自分で考えて行動できる」、すなわち、自立自我の確立です。
2.少年期とサッカー人間の誕生から成熟期までの発育量を示したものに『スキャモンの発育曲線』というものがあります。神経系の発育を示す神経型は、乳児期から幼児期にかけて急速に発達して、小学校入学時には、大人の役90%に達しています。
小学校低学年まではこうした急成長期に含められると考えてよいと思います。動きの器用さ、調整力など、いわゆる運動神経を刺激するのに適した時期です。また、骨・筋肉・呼吸器や循環器などの発育を示す一般型は少年期に入っていったんゆるやかになり、少年期の最後あたり(14・15歳~)から再び急成長します。
しかし、少年期の一般型に「動きの力強さ」や「動きのタフさ」を要求するんは早すぎます。中学生の後半から高校生にかけてであれば、成長の度合いに合わせて「強さやタフさ」を求めていくのは良いでしょう。
小学生に負荷の多い筋力トレーニングや耐久走などは全く必要ありません。むしろ有害だと考えます。
また、脳の発達でみると0才~3才まではいろいろな情報を取り入れてそれば何かを判断し記憶する「後頭葉」が発達します。こに対し、おでこ部分の「前頭葉」は物事を考え、推理し、意思決定する場所です。
この前頭葉の発達は、5才~10才くらいにかけて盛んになります。ですからこの時期に、子供に自分で考えさせたり自分で決定させたりすることが重要なのです。
サッカーのプレーの中には、実に複雑な動作が内包されています。走る・歩く・ステップする・止まる・ジャンプする・倒れる・回るなどの動作の組み合わせで、サッカーのプレーが成り立っています。動作の複雑さという点では、サッカーがスポーツの中ではナンバー・ワンと言ってもよいでしょう。
少年期には人間の神経系が急速に発達しますが、この時期にサッカーのような動きの複雑なスポーツをすることは、神経系の発達を促進するために非常に良いのです。
またサッカーはエネルギー系の体力を刺激するという点でも非常に効果的なスポーツです。プレーを連続させる持久力、ジャンプやボールを蹴るパワー、走るスピードなどが、夢中になってボールを蹴り、追っているうちに少しずつ刺激されていきます。
スポーツの場での頭の使い方と算数や国語の勉強をしているときの頭の使い方を比較してみると、両者は少し違いがあります。
まず勉強の場での頭の使い方を見ると、たいていの場合はある決まった答え(関係やルール)を探してゆくというものです。すでに決まっている答え(少なくとも出題者にはそれがわかっている)を当てるのです。そこには判断とか決断という要素は含まれません。ここではいかに記憶するかが大事です。
ところがサッカーのようなスポーツの場面では、競争相手に勝ったり良いプレーをするためには、自らがさまざまな要因を分析・判断し、どのように行動をとるのかを決断しなくてはなりません。ここが勉強の場面の頭の使い方との決定的な違いです。
サッカーだけが優れているとは思いませんが、心と体が急速に成長する少年期に、バランスのとれた心と体の発達を促すスポーツとしてサッカーは、非常に適していると思います。
青葉FCの指導者は、子供達を、焦らず、のんびり、じっくり、長い目で指導して、将来のサッカーの”伸びしろ”を大きくしていくように考えています。
★青葉FCオフィシャルホームページはこちら→http://aobafc.jp/