毎日19:00にお届けする
セレクション!
青葉FCの選手が、自分の印象に残る選手・プレーを見つけてもらえるよう、世界で活躍しているプレーヤーを毎日一人づつピックアップしています。


さて、どこまでネタが続くでしょうか??? 
本日は。。。
300回記念
栄えある
300人目の選手
として、日本人選手をピックアップさせていただきました

『松田直樹 (Naoki Matsuda) 「ミスターマリノス」 (Mr. MARINOS)』 




松田 直樹(まつだ なおき、1977年3月14日 - 2011年8月4日)
群馬県桐生市相生町出身のサッカー選手。元日本代表。 生前のポジションはディフェンダー。[ウィキペディアより抜粋]※『松田直樹 (Naoki Matsuda) 「ミスターマリノス」 (Mr. MARINOS)』は削除されたため『Naoki:Matsuda∥松田:直樹 RIP』にて再掲載します。(2012/11/16)
『松田直樹 【最後のメッセージ】』■松田直樹選手退団挨拶【全文】-----------------------------------------------------------------
『いや~、ちゃぶられました。いらないか(笑)。16年間、本当に生意気で、わがままな自分を応援してくれて本当にありがとうございました。
オレはバカでずっと生きてきましたけど、みんなが応-援してくれたから。
マリノスでの1試合1試合は気持ちを込めて戦ったと思うし、もちろんオレにキレた人もいると思うけど、みんなの声援が自分の力になりました。
マリノスのサポーターはマジで、最高っす。
今ここでしゃべってますけど、社長みたいに頭良く紙に-書いたりも出来ないし、こんな時間でみんなに対しての気持ちは伝えられないんですけど。
とにかく、みんなが、何回も言うけど最高としか言えないんで。
あとは、ほんとうに感謝の気持ちしかないです。
ただ、もう何言ってるかわかんないけど、ただ。。。
「オレ、マジでサッカー好きなんすよ!」
「マジで、もっとサッカーやりたいです!」
本当にサッカーって最高だし、まだサッカー知らない人もいると思うけど、オレみたいな存在っていうのもアピールしたいし、サッカーって最高なところを見せたいので、これからも続けさせてください。本当にありがとうございました!』-----------------------------------------------------------------
近年、プロサッカー選手もチーム在籍待遇交渉に代理人を立てるのが主流となっている中、
松田直樹は代理人を立てずに自らチームと話し合うことにこだわっていました。
2007年シーズン終了後、年俸を60%カットされてもサインし、2008年も「会社が苦しいから・・・」と一回目の契約交渉で更改のサインをしたのも有名な話。
1995年から
16年間『マリノス』一筋、385試合に出場して3度のリーグ優勝に貢献。。。
これほどまでに会社を含めた
「チーム」のバランスまでをも考え、一つのチームを愛し続けた選手がいたでしょうか。。。
そんな彼をみんなは
ミスターマリノス 
と呼ぶ!
日本代表としても、国際Aマッチ40試合に出場。
トルシエジャパンの代名詞だった3バックシステム
「フラット3」で右サイドとして起用され、
2002年FIFA ワールドカップ日韓大会では全4試合にフル出場し、
中田英寿、
稲本潤一、
小野伸二、
三都主らと共に、初の決勝トーナメント進出の原動力となりました。
そんな彼に、2011年11月27日の
ガンバ大阪戦終了後「チームを新しくする!」という理由から、チーム統括本部長より戦力外通告を言い渡され、不本意ながら
『退団挨拶』となりました。
Jリーグ第34節最終試合(
大宮アルディージャ戦)の後、その悔しさを表に出さず、涙をこらえながら、言葉が詰まりながらも
「自分の気持ち」を伝えようと一生懸命でした。
偶然にも。。。青葉FCの選手達は、マリノスによる地域貢献の一環である「招待」により、その場に居合わせることが出来ました。
松田直樹選手の
『退団挨拶』を、目の前で聞くことができたのです。。。





【写真】田口コーチその後。。。松田直樹選手は、当時JFLの松本山雅FCと契約。背番号は横浜Fマリノス時代の「3番」をつけ、CBとして・・・チームの中心選手として・・・クラブ・選手・サポーターに深く愛されながら、まずは「松本山雅FC、J2昇格」を目指して、大好きな
「サッカー」が出来ることを思う存分楽しんでいたことでしょう。
そして。。。2011年8月2日午前、
松本市の「
梓川ふるさと公園」にてチームでの練習中に突然倒れ、心肺停止状態。
信州大学医学部附属病院高度救命センターに緊急搬送されましたが、「
急性心筋梗塞」のため2011年8月4日午後1時6分頃、家族に見守られて息を引き取り、34歳という若さで帰らぬ人となってしまいました。。。
最後の
松本山雅FCでは、わずか7ヶ月の間の在籍ではありましたが、CBとして全15試合出場1得点をあげ、生涯最後の公式戦となった2011年7月23日の
JFL後期第4節「
Honda FC戦(
アルウィン)」にて、Jリーグ含め公式戦通算400試合出場となりました。
松田直樹選手のお母さんは、
『サッカーを誰よりも愛する松田直樹選手が、最後に倒れた場所がピッチの上だったことは幸せ・・・』と話していたという。。。
『オレ、マジでサッカー好きなんすよ!』
『マジで、もっとサッカーやりたいです!』退団挨拶のこの言葉。。。
数多くのサッカーファンは、心を打ち抜かれたことでしょう!■一般財団法人「松田直樹メモリアル」(代表理事・安永聡太郎/2011年10月3日設立)
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